あれから一ヶ月

うちの犬が亡くなってから一ヶ月が経った。ここ何年かで最も悲しかった日から今までに地球は31回の自転を繰り返し、季節を移す軌道を進んでいる。だが、私はあの日から時計の針が進んでいない。未だに悲しい思いをしているし、胸が詰まる。

特に、最期に近い頃の動画を観ると心が張り裂けそうだ。

もっと早く病院に行けば良かったとか、もっと健康的な食べ物を与えれば良かったとか、思う存分の散歩をさせてあげれば良かったとか、数えきれないほどの後悔がある。

周りの人は、最期幸せだったと思うよとか飼い主さんがいてくれて安心してたはずだよ等の言葉をかけてくれる。私の周りの人達は優しいので、本心からそう言ってくれるのだろう。

しかし、私には未だに罪の意識がある。もっと長く生きれる時間を短くしてしまったと。

さらに罪深いことに、時間というものが少しずつ私の記憶から犬と過ごした時間の中で感じていたものを消し去っている。

だから、辛くても動画を観て忘れないようにしている。

体の温もりや、においや声が蘇ってくるからだ。


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世の中は便利なので、画像や動画などの視覚的感覚はいつまでも残せる。しかし、匂いや温もりなどの感覚は残せない。

腎臓が悪いと口から尿の匂いがするし、そもそも犬自体に独特の個性とも言えるような匂いがある。当然、温もりもだ。亡くなったら周りの温度によって組織変化するただの肉の塊だ。

だから、生きているときの匂いと温もりを覚えているということは、彼のことをまだしっかり覚えている証拠である。

我々は、毎日色んな人と出会う中で新鮮な思いをして楽しい思いをする。

しかし、それと同時に過去の者を少しずつ記憶から消していく。

私にはこれが恐いのだ。記憶からゆっくりと消えるのならば、そうならないようにしがみつきたい。

本音を言えば、もちろん生きてほしかった。